「貴乃花」叩きに焦点シフトした日馬富士・暴行問題の危うさ

日馬富士の暴行問題をめぐり、相撲協会の危機管理委が真相を追って当事者の日馬富士関をはじめ、当日の酒席同席者にヒアリングを行っているが、どうも各証言はバラバラ。そこに協会人事をめぐる角逐、相撲部屋間の駆け引き、どろどろした人間関係など、相撲界に長年積み重なり沈殿してきた滓(おり)みたいなものや不協和音を、各メディアがほじくり出し入り乱れた形で事細かに紹介するものだから、ますます不透明さを増す一途の感がある。

その中で気になるのは、ここ数日のメディアの取り上げ方が、本来の軌道から外れはじめたことだ。いつのまにか「貴乃花親方が協会を無視して被害届を警察に出した」という“一方的な手続き”の仕方に非難の矛先が向けられはじめ、「貴乃花」叩きにすり替わってきている。テレビなど漫然と見ていた私に、横に座って見ていた中学生の子供が「貴乃花って何か悪いことしたの」と聞いてきたのでびっくりした。虚を突かれたとはいえ、私も心のどこかにブレーキを掛けながら画面を見ていないと、子供の感じたように「貴乃花」悪者論にうっかり汚染されるところだったからである。

問題の本質をすり替えてはいけない。肝心なのは「暴行」の事実である。まさか事のついでに、相撲界や協会にとって不都合なことまで葬り去ろうというような意思が働いているとするならば、とんでもないことだ。それだけにこの問題がどこに落ち着くか、少なからぬ関心をもって注視している。